人生の豆知識

もしかしてもしかすると役に立つかも。。。な情報。

嫉妬をうまく利用しよう

嫉妬とは、

あいつだけずるい」と言う感情だ。

例外はない。

 

自分にはなくて、他人にだけある特徴を見て、

あいつだけずるい、俺もほしいのに」という

感情の事を言うのだ。

 

例を挙げよう。

芸能人の不倫なんて、自分の人生に対して、

あろうがなかろうが、どっちだっていいのだ。

しかし、世間の人たちは、厳しく非難する。

 

「不倫は悪いことだ。」とか「奥さんがかわいそうだ」とか。

そんなことは、時代が変わったり、人が変わったりしただけで

ガラッと変わることであり、絶対の真理なんてない。

それに、批判している人は、大抵その芸能人と、一生関係がない人である可能性が高いのだ。

 

にもかかわらず、批判したくなる感情が生まれるのは、「自分もやってみたいのに、自分はできない!あいつだけずるい!」「俺もやってみたい」と言う感情があるからなのだ。

 

他人の嫉妬も、じぶんの嫉妬も、こういう風に考えよう。

そうすることで、自分や他人をもう一つ上の客観的視点から見ることができる。

 

人生は、体を大きくするためにあるのではない。

人生は、富を大きくするためにあるのでもない。

人生は、視点を広く持てるようにする訓練の場である。

錯覚資産のを使わないバカ

錯覚資産を利用しないのはバカだ

 

「まだ実力で勝負とか言ってんの?」

と言う本に書いてあったが、この世は資本主義。しかし、資本主義は実力で支配されているわけではない。

錯覚資産によって、支配されている。

錯覚資産が多きものは、全体像も大きく見えてしまっている。

つまり錯覚資産をもっと意識すべきなのだ。これは間違いない事実だ。

 

錯覚資産は、別名フロー効果とも呼ばれる。

これのおかげで生活ができているともいえるのだが、

フロー効果のせいで詐欺にあうこともある。

だからもし、じぶんがフロー効果なんて使いたくないと思っていたとしても

知っておく価値があるのだ。

 

ま、そのフローだったり、錯覚資産だったりがあったらの話なんだけどね。

 

ない人にも、その効果を利用する手段はある。

 

それは、良く見せるという技術だ。

嘘をつくのではない。実際にある錯覚資産を利用して、そのその技術を混ぜ合わせる。

 

「日本人の1%が見た」

というより、

「100万人が見た」と言う方が正しい。

 

こういうことなのだ。

ネガティブもポジティブも利用しよう。

ネガティブよりもポジティブがいいと言う言葉など、人生で100万回くらい聞かされてきた。

超ネガティブな、ぼくから言わせれば、そんなことはもう分った。こっちは、そのポジティブになれずに苦しんでいるのだ!と言う主張をしておきたい。

もうむしろ、ポジティブになれない!というプレッシャーがすでにネガティブじゃねーか。という最悪のスパイラルにすら入ろうとしているのだ。

 

そしてついに、ぼくは悟った。

 

ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、それを利用してやればいいのだ。

それだけの話だ。

 

比較の話をさせてほしい。

等号(=)や不等号(<、>)で結べるのは、同じ単位、同じ次元のものでしかない。似た者同士でなければ、比べることができないのだ。

「あなたの体温と、あなたの身長は、どちらが大きいですか?」

と聞かれても、

「は?」と答えるのが正解である。

どちらも比べられないのだ。

 

体温は【℃】

身長は【m】

だから、そもそも単位が違うのだ。よって比べることはできない。

 

話を戻そう。ネガティブもポジティブも、どっちが良いだ、悪いだ言っているのは、そもそもその次元から抜け出すことができていない。

おなじ直線状で思考が止まっているのだ。

 

もっと大きな目で見てみないか?

 

ネガティブとポジティブをそれより大きな視点で見てみよう。

 

「あれ?今俺ポジティブじゃね?」とか、

「あ、今俺ネガティブに入りかけてる。」とかそういう感じだ。

 

どっちにしろ、自分の思考や、自分の環境がそうさせているのだ。

 

だから、そうさせている原因を明らかにすることによって、対処の仕方を変えていけることができる。

 

ネガティブに入りたくなければ、、原因に近寄らなければいい。「触らぬ神に祟りなし」と同じだ。「触らぬ”ネガティブの原因”に、ネガティブなし」である。

 

ネガティブも ポジティブもよし、今の俺。

元の姿は、変わらざりけり。。。

嫌なことから学べる事

嫌なことをしていても学べることはある。

 

嫌な事をしているからこそ、自分の好きなことが分かる。

嫌な事をしているからこそ、自分のやりたいことが分かる。

嫌な事をしているからこそ、自分の嫌なことを再認知できるのだ。

 

好きなことでは分からないことがある。

 

そう思えば嫌なことに対してむしろ感謝したくなる。

自分の嫌いな人の事は無視してもいい。

嫌いな人の言う正しいことよりも、

好きな人の言う間違いを信じる生き物。

それが人間である。

 

間違っているかどうかなんて、時代の流れや人の価値観で左右されるものだ。今やっていることだって、100年後には大犯罪かもしれない。

 

だとしたら、嫌いな人の事を一生懸命聞いて生きていくのはつらい。やるたびに嫌いな人の事が目に浮かぶだ。

 

じゃあ、もう間違っててもいいから自分の尊敬する人や好きな人の言うことを聞きたいなと思う。

 

世間体なんてしょせん自分が知っている人間の目でしかない。日本人は特にこれを気にしすぎだと思う。

メンタルは光で操れる。

朝は光を浴びる。夜は光を浴びない。

たったこれだけで、自分のメンタルをコントロールすることができる。

 

人間は光とともに生きてきた。

人間、、いや、ヒトが人っぽくなる、もっともっと前からずっとそうだったから、哺乳類と言うべきかもしれない。

人の祖先が、チンパンジーの祖先と別れたのが600万年~700万年前。

だとすると、それ以上前から光とともに生きてきたわけだ。

 

この事実を知ったら、光を利用しない手はない。

朝は、光で目覚め。夕方からだんだんと光を浴びないようにする。

これだけを意識するだけで、だいぶ気持ちが変わってくる。

 

朝光で目覚めることによって、とてもすっきり目覚めることができるのだ。音で起きると、人間は危険の察知で目を覚ますのと同じになる。しかし、光で起きると、より自然に起きることができるのだ。

 

僕は目覚まし代わりにhue のライトと、Amazonエコーを利用している。これらを組み合わせることで、毎日セットしなくても指定の時間に光を照らしてくれるのだ。

 

それも徐々に光度を挙げることができる。徐々に挙げていくことによってより自然に近い状態で起きることができるので、本当におすすめ。

 

 

 

 

めんどくさいと思ったら、そのたびに幸せと思おう。

 めんどくさいと思うことは、実は幸せであるという事が多い。

 

仕事がめんどくさいと思うこともあるかもしれないが、それは実は「仕事がある」と言う幸せである。大恐慌の時は仕事を探すことだけで精いっぱいだった人があふれかえるのだ。

勉強がめんどくさくなることもあるかもしれないが、それは実は「勉強ができる」という幸せである。ほんの100年前は、勉強がしたくてもできない子供や大人があふれかえっていた。

家事がめんどくさくなることもあるかもしれないが、それは実は「家事ができる」という幸せである。戦後の人間は、生き残ることがすべてで、家すらない人も大勢いたのだから。

 

そう考えると、めんどくさいなあと思っていることは、結構実は幸せだよ。と言うことが多い。

歴史の勉強をしているとそういうことが良く分かる。人類は、その「めんどくささ」を勝ち取るために大勢の命を懸けて戦ってきたのだ。

歴史の中でも近代史を勉強していると、ほんの数十年前なのにこんな時代だったんだ。と言うことが分かる。

 

そろそろタイピングがめんどくさくなってきたので記事はこの辺で。。。

 

資本主義とチーズ

「資本主義は拡大するチーズのようなものだ。」

byイスラエ人の偉いおっさん

 

 

資本主義は拡大する。

お金がどんどんと増え続ける仕組みになっているのだ。嘘ではない。

 

たとえば、こういう感じだ。。。

Aさん銀行から100万円を借りる。」

 ↓

Aさん:「100万円借りれた!ヒャッホー!!なんかお店ひらこっかな!」

銀行  :「100万円貸してやったわい。」

 

さて、分かりましたか?この時点で不思議なことが起こっています。

当たり前のように見えて当たり前ではない不思議なことが。。。

 

Aさん側も、銀行側も

「自分は今、100万円持っている。」と思っているのです!!

 

え?そんなわけないって?

じゃあそれぞれの気持ちをインタビューしてみましょう。

 

Aさん:「100万円?持っていますよ。銀行から借りました。

    もちろん銀行に返さないといけないのは分かってますけど

    これからパン屋さんを開くのでそのお店から得た収益で

    3年後には返せるはずです。」

 

銀行 :「100万円?もっていますよ。

     今はAさんに貸していますが、3年後には返ってくるはずです。」

 

びっくりしましたか??びっくりしましたよね???

、、、、いや、びっくりしてください!!

 

100万円しかなかった物が、「お金を貸す」ことによって実質200万円になっているのです!!

ウソのように思われるかもしれませんが、今日も日本全国の銀行でこのようなことが行われています。。。マジです。

 

さあ、「資本主義が拡大するチーズのようなものだ」と言う意味が分かってきましたか?

100万円しかなかったものが、銀行の仕組みによって、一気に倍になるのです。(もちろん借りた側がちゃんと稼がないと減ってしまいますガ、、)

 

こうやって資本主義の仕組みは成り立っているのです。

 

 

     

 

 

 

知識を得ることの面白さ

男女で脳が違うとか。白人とか黒人とか黄色人種で遺伝子が違うとか。

いってるやつはおおいけど、結局アフリカにすんでるチンパンジー全種よりは、遺伝子の隔たりは少ない。

 

アフリカには、西に住んでいるチンパンジーと東に住んでいるチンパンジーがいるけれど、その二種の遺伝子は、白人黒人黄色人種の遺伝子の隔たりよりも大きなものがあるようだ。

つまり、人間は根本は結構おんなじだよ問うことだ。

生物としての知識を得ようとしただけなのに、倫理的なことも考えてしまう。これが知識を得ることの面白さだろう。

恋愛は、効率が悪い。(人の恋愛の相談に乗るのが楽しい理由)

恋愛相談が楽しいと思う理由

 

恋愛をすると人はバカになる。

これは万国共通らしい。

 

「恋は盲目」という日本のことわざがあるが、似たようなことわざが海外にもある。

「恋をすると水だけで生きていける。」とか

「恋をすると空気だけで生きていける。」だ。

 

つまり人間と言う生物は、恋をすると馬鹿になる。

だが、それはなぜだろうか?

 

人間は、合理的に動くのが好きな生き物だ。食べ物を探すことや、寝る事、安全確保にたいして合理的に動きたがる。つまり、食べ物を探すことや、寝る事、安全確保に対して、確実に、素早く、そして簡単にするように工夫したがる。

その性質のおかげで、今の文明社会がなりたって、ぼくもこうやって誰も読まない文章を書けるわけだ。

 

しかし、子孫を残すという事に対しても合理的にならないといけない。

言うまでもなく、そうしないと次の時代に自分のコピーを残せないからだ。

 

ここで矛盾が生じる。

「合理的に生きる。」ということと「子孫を残す」と言うことには、大きな矛盾があることにお気づきだろうか?

子孫を残すと言うことは、子供を作ると言うことだ。しかし、子供を作ると言うことは、子供にを生み、育てなければならない。そう、時間と労力が子供に奪われてしまうのだ。

つまり、子孫を残すと言うことは、自分に対して合理的ではない。と言うことになる。

 

ここで「恋愛相談が楽しい理由」に話を戻して考えてみよう。

 

今までの「恋愛は効率ではない」と言う意見と組み合わせて考えるとこうなる。

相手がバカに見えるから恋愛相談は楽しいのだ。

恋愛相談に乗ることは、非効率(=馬鹿になっている)な人間を相手にしているので、自分が優越感に浸れる。

つまり、相手が効率の悪いことをしているのに対して、客観的な意見を述べることができる。

だから楽しいと感じるのだ。

 

だから、おすすめなのは、

「恋愛相談に乗るときは、自分と人類に対しても客観的になろう。」

客観的な意見を言ってあげるだけでなく。自分に対して、人類に対しても客観的に考えられるようになろう。

しょせん人間の考える事は、共通点だらけだ。

客観的に考えると、この人の本当の良くは何なのか?と言うことが見えてくる。

 

恋愛相談で、自己満足になるだけではもったいない。

恋愛相談で、人間観察力を鍛えよう。

 

人間の最大の武器は、習慣と信頼だ。

人間の最大の武器は習慣と信頼だ。

 

習慣は自分に対して。

信頼は他人に対して。

 

どちらもすぐに身に付けることはできない。

 

習慣は、しっかり身に着けると後は楽。でも

信頼は、しっかり身に着けても一瞬で失う。

 

習慣も信頼も将来の自分に対するプレゼント。

習慣も信頼も想像上の産物に過ぎない。

習慣も信頼も最大の武器にして、どちらとも武器だと気づきがたい。

 

守備と攻撃で表すと

習慣が守備的なイメージで

信頼が攻撃的なイメージになる。

 

 

 

 

日本人経営者のこと馬鹿にし過ぎ論

日本人のアニメとか映画とかドラマで出てくる経営者悪く描かれすぎでしょう。

 

何で経営者が悪く書かれるか?

それは、見る人のほとんどが「経営者ではない」からだ。

 

アニメ、漫画、ドラマは120%見る人のために作られる。

もしそうじゃないものは、絶対に売れない。

だから、アニメや漫画、ドラマは、見る多くの人を想像して作られる。

 

と言うことは、見る側が気持ちいいように、経営者を悪く書いているのだ。

つまり、大半の日本人は、経営者を嫌い過ぎだ。

 

なかには、本当にクソみたいな経営をしている人もいるのかもしれないが、それは、平社員にとっても同じこと。イイ人もワルイ人もいるでしょ?

 

だから、もっと経営者は尊敬すべき。

俺がそんなことを言わなくても、これからの時代は、水平分業型に移行しているから、個人経営が多くなる。すると、こういう考え方(経営者=悪)も少なくなっていくだろうなぁ

教育をさかのぼって考える。

分からなくなりそうなときは、さかのぼって考えてみる。

 

時代もいっしょ。

ニュースを読み解くには、現代史の知識が不可欠。

 

だから、教育についてもさかのぼって考えてみる。

今の教育の基礎となっているのは、戦後の時代に必要な人材を育てるための物だった。そして実際に戦後の日本は、その教育のおかげで急成長できたわけだ。

 

教育は、確実に社会に反映される。だから、その時代にとっては、日本の教育は素晴らしいものだったのかもしれない。

 

しかしだ。

その教育は、今の時代に沿ったものに変化しているのだろうか?

知識をとりあえず頭の中に入れて、上手に取り出す練習のような教育。

それよりも、今の時代に即した教育は、自分でしないといけない。

 

教育は、あくまで国が国のために行うもの。

自分が自分のために行う教育は、読書だ。

 

それがどんな本になるのかは、人によるので一概には言えない。

しかし、どんな時代も読書によって、人の感性は磨かれ、自分で食っていける知識をつけることができる。

 

だから僕は本を読む。

 

 

結果の数式

結果=自分x買い手x世間

 

自分の得意な分野で攻める。

買い手のあるものを売る。

世間の大まかな流れを知る。

 

世間がほぼ買い手に吸い込まれる形の式になっている。しかし、世間は世間、買い手は買い手でわけないと、意外な相違点もあるからじゃないだろうか。

 

これは、商売の法則みたいなもんだが、

「売り手よし、買い手よし、世間よし」

と言う名言をもとにした文章。

世間の評判と言うのは、大きな流れ、つまり百年単位の事を表しているのかもしれない。

そして売り手と言うのは、1年あるいは1か月単位の物を表しているのかもしれない。

 

世間がつかめないと結局商売にはならない。

倫理的な感情が働いてしまうと、商売にならないから。

 

いや、もしかしたら売り手と言うのは、需要の事かもしれない。

 

何なんだろう。なぞ。